一人一票実現のためのインタビュー企画 第3回 山口邦明弁護士

第3回 山口邦明弁護士

弁護士山口邦明先生:早稲田大学法学部卒業、同大大学院法学研究科修了。昭和37年に日本で初めて選挙裁判を提起した越山康弁護士(当時司法修習生)とともに、昭和40年より選挙裁判を手掛ける。
山口先生:まず、私の選挙無効事件との関わりを簡単にご説明します。
日本で議員定数不平等の裁判を最初に起こしたのは、越山康弁護士です。私と越山先生との関係ですが、私は昭和39年の冬に越山ゼミという司法試験の受験サークルで越山先生の指導を受けていました。その間に、越山先生が昭和37年に訴えた参議院選挙の無効請求事件について、最高裁大法廷で合憲判決(昭和39年2月5日)の言渡しがありました。
私はその年の秋、司法試験に合格し、ちょうど東京オリンピックの年でしたから、ぼーっとオリンピックを見ていたら、越山先生からこういう判決(昭和39年2月の大法廷判決〈参院〉)に興味ないか、と声を掛けられ、それ以後、選挙無効事件に関与するようになりました。

昭和51年最高裁大法廷・違憲違法判決

- 今日一番お伺いしたいのは、昭和51年の大法廷判決についてです。高裁では合憲判決でした。それからどのような経緯を経て一気に違憲違法判決になったのでしょうか。
山口先生:高裁段階までは越山先生がやっておられました(東京高裁判決は昭和49年4月30日。注)。私は高裁はやっていません。高裁判決の翌50年の8月の初めに、越山先生から連絡があり、来月の9月8日に大法廷弁論をやるから手伝うようにと言われました。弁論の1か月前に、急に言われました。(笑)

- 高裁判決から最高裁判決まで2年も経っています。その間に何か特別なことがあったのでしょうか。

山口先生:特別なことがあったわけではないと思います。昔は今よりスローペースでした。上告事件ですと、判決に上告理由書を付けますが、それを和文タイプライターで一字ずつ活字をひろって打ちますから、それに6か月くらいかかると言われていました。最高裁は、丸2年抱えて一生懸命、事情判決という新しい判決を考えていたということでしょうかね。

- 昭和49年頃というと、ロッキード事件の影響で、国会のパワーが少し弱まっていたともいえる時期でしたので、最高裁も思い切った判決を出しやすいということがあったかもしれない、などと思いましたが。

山口先生:いろいろなことを考えて、時間がかかったということはあるかもしれないですね。しかし、政治とのかかわりは、わかりません。

- 裁判長は村上朝一さんでした。

山口先生:はい。

- 高裁で合憲判決だったのが、最高裁では、いきなり、違憲違法が8名、違憲無効が5名という、驚くべき内容でした!弁論をされている時に、何か手応えのようなものは感じられましたか?

山口先生:全くないです。最高裁弁論の1か月前に、私と大阪の山本次郎弁護士の2人が急に越山先生に呼ばれまして、3人で各20分ずつ弁論を担当する、と言われました。とにかく1か月しか準備期間がありませんでしたら、女房には子供を連れて1か月実家に帰ってもらいました。(笑) 1人で1か月間、弁論要旨を作るのに大変苦労しました。そういう状態でしたから、弁論の時に裁判官がどのような様子だったかなどを観察する余裕は全くありませんでした。
どうして違憲判決が出たかについては、裁判所の内部のことは分かりませんが、思い切った考えの方々がいらっしゃったということですね。今だって勇気のある裁判官が4~5名いれば、特に裁判官出身の裁判官が前向きに判断してくれれば、最高裁は動くと思うんですけれども。

- そういった意味では、平成26年大法廷判決では、裁判官出身の金築裁判官、山﨑裁判官を含む5名の裁判官が、「投票価値の平等は国会活動の民主的正統性を得る基本的な条件である」旨の前向きな補足意見を書いて下さいました。しかし、その方々もその後判決ではトーンダウンしてしまったので、とても残念に思っています。

明治憲法を学んだ裁判官が去り、新憲法を学んだ裁判官が就任するも

山口先生:昭和の時代は、まだ明治憲法を勉強した裁判官がおられた時代です。新憲法を学んでいない裁判官です。だから、越山先生たちとの話では、この人たちがいなくなり、全員が新憲法を勉強した裁判官になれば、1人1票は当たり前なので、そのうち何とかなるだろうと言っていました。平成10年頃には最高裁の裁判官が全員新憲法を勉強した裁判官になりましたが、合憲判断の姿勢は変わらなかった、というのが実情です。

- その頃の大法廷は、傍聴人はどのぐらいいらっしゃったのでしょうか。

山口先生:越山先生は3回目の裁判(昭和46年参院選)から、選定当事者という制度を利用していました。市川房枝氏が代表となっていた理想選挙推進市民の会をはじめ、日本婦人有権者同盟などの市民団体の方々から訴訟に参加させてほしいという申し入れがあり、これらのメンバーの方々も原告になりました。ですから、大法廷弁論の当日は傍聴整理券が必要なほど人が集まっていました(昭和51年大法廷判決の事件では、371人が提訴したとの報道あり。 注)。2000年(越山先生60歳)ぐらいになって私が越山先生からグループの代表を引き継いだ後は、これらの団体との訴訟活動はやっていません。

- 昭和51年4月14日の判決当日についてお聞かせいただけますか?

山口先生:衝撃的な判決でした。全く予想していませんでした。実はお恥ずかしい話ですが、当日、判決主文を聞いても私は意味が全く分からなかったんです。恥ずかしいというのは、行政訴訟法をあまり勉強していなかったので、事情判決という制度を知らなかったんです。ですから判決主文も何を言っているかわからないし、何でこんな判決になるのかさっぱり分からなくて、鳩が豆鉄砲を食らったような感じでした。

- 旗出しや会見はどちらで?

山口先生:われわれはこれまで一度も旗出しをやったことはありません。このときも、会見は最高裁(三宅坂)から高裁(霞が関)に戻ってきて記者クラブでやりました。

- そのときは、大興奮でしたか?

山口先生:私は駆け出しの一番後ろですから、越山先生や市川房枝先生などのマスコミ対応をずっと見ていました。判決当日は、とにかく憲法違反を認めたんだといって、支援者とみんなでホテルで一日中祝杯をあげていたという記憶です。
越山先生は、この昭和51年判決と昭和60年7月判決(両方とも衆議院選挙)の2つの違憲判決(違憲だが請求棄却)が自分の実績だと、いつもおっしゃっていました。
これが昭和51年4月14日判決当日の『朝日新聞』です。

- ありがとうございます。これは判決当日の夕刊ですね。ということは、判決は午前中だったのですか?

山口先生:午前10時の法廷です。当時春闘の最中で、判決当日は私鉄ストが予定されており、交通がまひする可能性がありました。私は、不測の事態に備え、最高裁に歩いて出頭できるように、判決前日は、近くのホテルに泊まり、翌日最高裁に出掛けていきました。

選挙裁判 実は、アメリカも日本も、スタート時期は同じ

- 越山先生はそもそも『ニューズウィーク』誌に掲載されたベーカー判決(1962年)を読んでその年に選挙裁判を始められたわけですね?(当国民会議HPより:「1人1票裁判とは」 https://www.ippyo.org/topics/saiban.htmlそして、最初の裁判から15年目で、初めての違憲判決にたどり着きます。日本では、選挙裁判が司法判断の対象になるとの判断がでるまでに何回か裁判を経たのでしょうか?

山口先生:いや、その前はないです。日本では、ベーカー判決から半年もしないうちに、当時司法修習生だった越山先生が訴えた事件が最初です。昭和37(1962)年の7月の最初の事件から高裁も訴え自体には文句を言わなかったし、最高裁も定数是正訴訟を法律が認めていないとは、一度も言ったことがありません。
もっとも、アメリカでも1962年の段階では、裁判所は司法判断の対象になると判断しただけで、別に1人1票だとかそういうところまでは判断していません。ですから、アメリカも日本も、1人1票について裁判所が検討を始めたスタート時期は同じだったんです。それなのに、現在、日米でこんなに差がついているということは、日米の考え方の違いが原因だと思います。

- 判決のあとはどのようになりましたか?

山口先生:51年判決のときは、判決の前に衆議院議員の配分規定の是正がおこなわれ、次回選挙は是正後の配分で行うことが決まっていました。

- では、もしかしたら今回もアダムズ方式採用の法改正が済んでいますので(平成28年改正法 注)、状況は51年判決の時と似ていますね。

山口先生:現在の法律をひっくり返すのは影響が大きいけれども、改正前の法律を無効にすることは最高裁としては影響が少ないと考えたのかもしれません。

- 海外メディアからの取材などはありましたか?

山口先生:海外からの取材はなかったと思います。51年判決は英文に翻訳され、世界に配信されました。越山先生に教えていただいたんですが、憲法違反の判決は、世界に英文で配信することになっているそうです。
記憶にあるのは、昭和61(1986)年に、イギリスのサッチャーさんが首相時代に、G7の会議で来日されました。そのとき、日本ではちょうど定数是正が問題になっていまして、彼女が、こんなものは国会でやっていたって決まらないわよ、第三者委員会で決めるべき問題ですよと、コメントしたことが新聞記事になっていました。

2倍説

- 2倍説についていかがお考えですか?

山口先生:結局、 1人1票(one person one vote)の意味をどう理解するかです。One person one voteという言葉に対し、アメリカは限りなく1対1に近づける努力をしました。ところが、日本は1人1票というのは1人が2票持たなければいいんだよね、と理解した。アメリカと日本とでは、One person one voteという言葉に含ませる思想、民主主義の理解が全く違うんです。
One man one voteが日本に輸入されたときは、昔からよく言われている衆議院は3倍、参議院は6倍の時代でしたから、そういう時代の2倍論はまだ意味がありました。2倍が最終目標かどうかは別にして、6倍がおかしい、3倍がおかしいという言葉として、2倍を超えたらおかしいという、2倍較差論にもある意味では意味があったわけです。
その流れで、平成6年に衆議院の区画審設置法を制定するとき、2倍以上にならないことを基本とすると法律で決めました。この平成6年改正法で2倍論者の目標は達成されたわけです。ですから、2倍論者はもはや目標を失ってしまったことになります。
先ほども申しましたアメリカと日本の考え方の違いですが、それは国民性の問題で、日本の人たちはアバウトですよね。突き詰めたり、勝ち負けでもそうですが、白黒をはっきりつけるとか、日本人はそういうものの考え方を避ける傾向があります。だから、2票与えなければいいんでしょうぐらいの話で、それ以上は議論がなかなか進まないのではないでしょうか。
昔はわれわれのグループにもたまに、2倍論を唱える人がいました。ただ、研究会にちゃんと来ている人たちの中には、全くいません。やはり相当に突き詰めて考えないと、われわれみたいな厳しいOne person one vote(限りなく1対1)の考え方をするようにはなれないのかなという気がします。

- かつて2倍説を唱えていた方も、今はいなくなっているということをお伺いすると、やはり、1人1票の原則という、法哲学といいますか、そういうのが進んできているのかなと今思いましたが。

山口先生:国民一般に少しずつ理解されてきたと思います。

人口比例選挙を実現するために

- 最後の質問になります。今後数ヵ月のうちに最高裁判決の言渡しがあると思いますが、どうしたら人口比例選挙判決を得られるでしょうか。

山口先生:残念ながら、裁判所は、自分の役割を十分に認識していないと思います。それを何とかしたいんですが、・・・一つの例ですが、参院の事件で最高裁は、都道府県の地域代表性は認めず、合区する方法などを示しました。国会は、2つの合区を作り、2016年の参院選を行ったものの、その後、自民党は、合区を解消するために、憲法を改正しようとしています。憲法改正だって本当に合理性があればいいですよ。しかし、自民党の利益のために憲法改正をして、最高裁判決をひっくり返すことを考えています。最高裁が、それを「仕方がない」と認めるということは、ありですか?そのような憲法改正は、最高裁、むしろ司法権全体が協力して止めるべきです。さもなければ、司法権は国民のために何の役に立つのかな?と思います。そのような思いで昨年の最高裁大法廷では弁論をしました。
どうしたら人口比例判決を得られるかという質問は難しいですね。答えがあるんだったらもうすでに、違憲判決をもらえているはずですし。それがもらえていないからこうして苦労しているってところです。

- 答え難い質問であることは承知しておりますが、敢えて山口先生にこの質問をお伺いしたかったので。

山口先生:もうちょっとという考えで、今後も頑張ります。

-  ブロック制についてはどうお考えですか?

山口先生:私たちは参議院について合区案を昔から出しています。例えば、四国、九州、北海道をそれぞれ1つの選挙区にして、東京都を2つに割ると、一番いいんじゃないかなと思っています。
衆議院の11ブロック(比例区)も、1つの考えです。小選挙区の場合に選挙区の人口を同じにするということと同じように、配分する地域(複数の選挙区を含むブロック)の人口も同じ位にして、その地域に議員を人口比例で配分する考えです。

-  衆院小選挙区についてはいかがでしょうか?

山口先生:アダムズ方式は、人口の少ない地域に有利な配分となります。われわれは都道府県への配分について、ヘアー式の最大剰余法を主張しています。日本は大正14年に普通選挙制を採用した時から、都道府県への配分はずっと最大剰余法でした。だからわれわれは、日本の歴史を守れというか、変える必要があるのなら変える理由を説明する必要があり、それをしないで勝手な改正(アダムズ方式の採用)をするのはおかしいと批判しています。
我々が、日本の歴史は最大剰余法だと主張しても、高裁は、我々の主張を独自の主張だと言うわけです。世界の民主主義の歴史や日本の配分の歴史を無視する裁判官に、何を言ったらわかってもらえるのか、途方に暮れます。

- 私どもの1人1票実現運動が始まったのが2009年からで、今年で9年目になります。この間様々な苦労を痛感することがあるわけですが、山口先生たちの活動は50年を優に超えています。改めまして、これまで先生方に継続して選挙裁判に取り組んでいただき、本当にありがとうございます。升永弁護士らも自分たちは山口先生たちの最後尾に付いて参加させていただいていると述べておられました。

山口先生:いえいえ、そんなことはないです。升永先生たちが訴訟を全国展開されたことは、国民にも裁判所にも、大きな影響があったと、高く評価しています。ただ、継続してやるということは大変ですから、長続きするように頑張って下さい。升永先生ほかの皆様によろしくお伝えください。

- ありがとうございます!頑張ります!本日は大変有難うございました。

(終わり)

(後記)

素敵な先生でした。選挙裁判は、実は、米国も日本も、スタート時期は同じであったとの指摘に一番驚きました。米国は、ベーカー判決(1962)の2年後の1964年、米国連邦最高裁がレイノルズ判決で1人1票の原則を明言し、1人1票が実現しました。爾後、米国では、1人1票の原則に基づく選挙区割りが定着しています。日本は、最高裁が消極的な判断を続けるがために、未だ1人1票が実現できていません。この点で、米国に50年遅れています。次回は、当国民会議の発起人であり、1人1票裁判を全国展開されている升永英俊弁護士、久保利英明弁護士、伊藤真弁護士にお話を伺います。

第1回 鈴木富七郎弁護士
第2回 井戸謙一弁護士
第3回 山口邦明郎弁護士
第4回 升永英俊弁護士
久保利英明弁護士
伊藤真弁護士

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