弁護士になってからの仕事の内容は、原発関係が3割程度を占めている。
現在、昨年10月に行われた衆院選に関する1人1票裁判が全国の高裁で係属しています。昨日の東京高裁判決は残念ながら合憲でした。
井戸先生:そうでしたね。
参院選で日本初の違憲判決
- 前出の先生のインタビュー記事では、少なくとも違憲状態は出さなければいけないと思って臨んだが、結果は違憲判決になった、とありました。あの当時の違憲判決のインパクトは、今と比べても大変大きくなることが予想されたと思うのですが、合議の内容はともかく、違憲判決に至るまでに、例えばどのぐらい熱い議論が繰り広げられたのか、など、可能な範囲でお聞かせいただければ有難いのですが。
井戸先生:とにかく酷かったですから。6.59倍です。この時の定数訴訟は、大阪と東京と2つ起こったんです。東京は菊池裁判長だったかな。東京は合憲判決でした(東京高判平成5年2月23日 注)。6.59倍でも合憲だったんです。(笑)で、私どもはいくらなんでも6.59は酷すぎるということで。ただ、私は、いままで裁判所がなんの警告も発していないので、いきなり違憲というのは難しいのかなと思っていました。
- 先生はその時左陪席でいらっしゃいましたね。
井戸先生:はい。私以外のお二人とも積極的なご意見でした。今回は6.59ですが、その前も5.いくつでしたから、到底憲法上容認できる範囲を超えている。当時、衆議院は2倍、参議院は3倍ぐらいが限度じゃないかという学者もいらしたはずで、3倍超えてかなりの時間が経つわけですし、違憲状態という半端なことではなく、はっきりと違憲といった方がいいということになりました。
- では、さほど苦労もなく、自然と3人がそういう結論(違憲判決)になったということですか。
井戸先生:そうですね。特に反対意見があったわけではありません。
- 2009年からの一連の一人一票裁判で東京高裁・難波孝一裁判長に係属したことがありました。これらの裁判では、憲法14条の平等論ではなく、国民の多数決論に基づく主張をしています。
国民の多数決論とは、憲法56条2項(国会議員の多数決で議事を決定するとの定め)と前文第1文、1条(国民主権の定め)の3つの条文の法解釈論から、国会議員の多数決が民主的正統性をもつためには、国民の多数が国会議員の多数を選んでいることが必要になるという憲法の条文の解釈論に基づくものです。
口頭弁論期日で、難波裁判長は、「主位的主張は平等論なのか、多数決論なのか、再度確認したい。肩透かし判決を書きたくないから。」とおっしゃって、原告代理人は、「憲法56条2項、前文第1文、1条に基づく憲法解釈論(多数決論)です。」と答えました。私たちは、ついに国民の多数決論に立脚した東京高裁判決が出るかもしれない、と楽しみにしていたのですが、結局判決は多数決論には触れていませんでした。ただし、人口比例選挙の原則は明言されていて、不平等が容認されるにはその合理性の立証責任は国が負うということはきちんといっていただきましたが。
判決で多数決論を言っていただいたのは、片野悟好裁判長(広島高裁岡山支部)のみで、衆院、参院それぞれの裁判で違憲無効判決をいただきました。しかし、3回目の裁判(衆)では、裁判体が変わり、東京から新しい裁判官が加わった途端に違憲状態判決になってしまいした。
なぜ、こういうことを申し上げるかというと、裁判長がいくらAという結論をもっていても、合議では、2対1の多数決で裁判長が負けてしまうことがあるのだなという苦い経験がございまして、井戸先生の選挙裁判では、3人とも同じ意見で非常にラッキーだったと思いました。
井戸先生:高裁になるとみなキャリアがありますから、裁判長のいうとおりというわけにはいかないですからね。
国民の多数決論について
- これまで、多数決論についてお聞きになられたことはありますか?
井戸先生:あの事件以来定数訴訟は担当しませんでしたし、多数決論はいま初めてお聞きしました。
- そうですか。率直にどのような感想を持たれましたか?
井戸先生:平等論でなく多数決論でいくというのは、平等論では限界があり、新たな切り口が必要という発想なんですよね。
- はい。
井戸先生:平等論では突き崩せなくて多数決論では突き崩せるというのはどういうところにあるんですか?
- 平等というと、絶対的平等と相対的平等とがあり、どの程度の不平等までだったら許せるかという匙加減論になってしまう。これまでも最高裁はずっと匙加減論をやってきました。ところが、多数決論でいくと多数決は1票でも多い方が総取りになりますから、匙加減では論じられなくなるということです。
井戸先生:確かに平等論だと衆議院で2倍、参議院で3倍ぐらいまでは行くかもしれないけど、そこから先はなかなか進みにくいかもしれませんね。
- 運動をやっていて、国民の間でも多数決論がなかなか根付かず苦労しています。国民の多数決という民主主義のルールを守るという発想より、まずは地方がかわいそうとなってしまう。今、初めて多数決論をお聞きになって、どのような印象をお感じになられましたか。
井戸先生:本来国民の多数の意思で意思決定がされなければならないということなんですが、個々の政策についての賛否で議員をえらぶという建前になっていないから、選んだ議員が議決に対する賛否は、選挙民の意思に拘束されない、個々の議員の判断で行っていいので、そこに大きな断絶があって、そこに橋をかけるのが理屈で難しいのかなと思いましたけど。
合理性の立証責任は国にある
- そして、2倍説が根強い印象があります。先生の周りではいかがでしょうか?この話題は、あまり普段の話題にはあがらないかもしれませんが。ただし、学者の間では1人1票が主流だ、というところまで来ています。
井戸先生:この件についてあまり話したことはないですが、1人1票、本来平等でなければいけないでしょう、というのは原則的にはそう思います。
- 具体的な理屈に入る以前に、「僕は2倍説だから」とはなから決めつけている方もいらっしゃいまして。
井戸先生:2倍説というのは、いろいろな例外的事情から許容できる再上限の範囲が2倍であるということにすぎないわけで、2倍以下ならなんでもいいんだという理屈はないわけです。とにかく限りなく1に近づけなければならないわけですから。1.5でも1.6でも不合理なものはそれを是正していないのはダメでなわけです。1.5にしかできないのはどうしてなのか、1.8にしかできないのはどうしてなのかを国側が立証しなければならないはずです。
あと、違憲状態論というのが、国会が努力しているかどうかで違憲かどうかが決まるという理屈もおかしいですね。客観的に憲法が予定している状態なのか、違うのか、ということで違憲かどうかが決まるのであって、国会が努力しているから、違憲状態であるけれども違憲じゃない、という理屈は根本的におかしいと思います。
― 2倍の壁をどのように超えるか。どうしたら説得できるのでしょうか。
井戸先生:結局国会の裁量論なのでしょうけれども、最大格差を2倍以内に収めようという努力はしてきているかもしれないけど、本来は1であるはずですから、それでは目標が違っています。2倍までへの努力はしてきたけれどもその先の努力をしているところは見えていない。目標があって、そのための手段があって、その手段においては、裁量があるのかもしれませんが、ゴールの設定が間違っていますから。
例えば、参議院だと極端なところを合区すると最大格差は下がってきます。しかしそれ以外の中間の数値のところはほとんど手を加えられていない、という指摘が必要なんじゃないかと思った時期がありましたが。
― おっしゃるとおりで、0増5減といえば、5つの選挙区だけをピンポイントで変更しただけで、県内ですら、各選挙区の人口が均等になるような変更をしていません。
井戸先生:0.5や0.6がざらにあるわけでしょ?
- そうなんです。衆院では、北海道内であっても、0.55があったり、0.91があったり。判決が人口比例選挙の原則を言わない限り、2倍未満のところは、合理的理由の立証もなしに手を付けなくていいということになってしまいます。
井戸先生:昔は、参議院は5倍、6倍、衆議院だって5倍近くまで裁判所は動かなかったわけで、そこから2倍近くまで来たわけですから、それはみなさんの市民運動のおかげですよ。
ただ、数値的に改善してきているので、裁判所としても棄却しやすいというのはありますね。裁判所は非常に政治的ですから。最高裁は、理屈が通る、通らないにかかわらず政治的に結論だしますから。
裁判の独立
井戸先生:これをお渡ししようと思っていました。違憲判決を言渡した時の思い出ということで、裁判官ネットワークに書いた文書です。ご参考になればと思いまして。
- 以下は、井戸先生が日本裁判官ネットワークに寄稿された「ある判決言渡しの思い出」からの抜粋です。
全文はこちら:http://www.j-j-n.com/coffee/121101/sangiin.html -
どんなに社会的反響の大きい事件であっても、どこからも何の圧力もなく、3人の裁判官だけで議論して結論を出す。当たり前のことであるとはいえ、高裁長官も、高裁事務局長も、他の部の裁判官も、それ以外の何者も、口を挟まない。「注目しているよ」というメッセージすらない。3人の裁判官は、当事者が提出した主張と証拠だけから、結論を出す。結論を出したら、それを判決書という形で表現し、淡々と言い渡すだけであって、名もない多くの事件と何ら変わるところはない。私は、一人緊張していた自分が恥ずかしいように感じた。
その日は、書記官から、言い渡し前に法廷でのビデオ撮影があるので、午前9時55分までに法廷裏の合議室に入ってくださいと言われていた。午前9時50分になると、裁判長は、「そろそろいきましょうか。」と言って、法服に手をかけた。「ああ、やはり裁判長は覚えていたのだ。」と思った。裁判長、次いで右陪席裁判官、最後に私の順で法廷に向かった。一旦、合議室に入り、書記官の合図で法廷に入室した。裁判長は、いつもと同じように、主文を読み上げ、続いて私が作成した判決要旨を淡々と朗読し、言い渡しが終わった。
裁判官室に帰ってくると、裁判長は、早速、次に予定されている事件の進行について、私に意見を求めた。大判決を言い渡した余韻に浸っている暇はないのだった。
- 有難うございます。裁判の独立ですね。
井戸先生:はい。そう思ったんです。
- 感動しました。裁判官はこのようなパワーを持っているのですね。
井戸先生:ええ。すごい権限を持っているのです。
(後記1)
インタビューの最後に写真撮影をお願いしました。撮影のために、ジャケットのボタンをしめ、居住まいを正して体の前で手を組んだ瞬間、いままで優しくお話をして下さっていた井戸先生から、一瞬にして裁判官のお姿に大変身!その変わりように心底驚きました。
(後記2)
後になって調べると、この事件の原告代理人は、越山先生と共に選挙裁判をされていた山本次郎弁護士であることがわかりました。2009年に私どもが1人1票裁判を始める前の、越山先生が昭和32年以来続けてこられた選挙裁判の歴史を再認識しました。
次回は、越山先生の後を引き継いで選挙裁判を続けておられる弁護士山口邦明先生にお話をうかがいます。
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