一人一票実現のためのインタビュー企画 第4回 升永英俊弁護士 久保利英明弁護士 伊藤真弁護士

第4回 升永英俊弁護士
久保利英明弁護士
伊藤真弁護士  

一人一票実現運動について、また、現在最高裁に係属している1人1票裁判(2017衆院)などについて、弁護士升永英俊先生、弁護士久保利英明先生、弁護士伊藤真先生にお話しいただきました(2018年5月8日、同年6月5日)。「デュー・プロセス」に関連して、拷問という普段あまり取り上げられていない話題にまで話が発展し、非常に興味深いご意見をお聞きできたのはラッキーでした。
【升永】自分たちの投票が権力を交代させることができる、あるいは交代させないまでも、権力の乱用を防ぐことができるという意識がまだまだ広がっていません。
現在係属中の昨年(2017年)衆院選に関する1人1票裁判は、年内にも最高裁の判決がでると予想されます。高裁判決の結果(留保付き合憲・13件、違憲状態・1件、合憲・3件)からすると、最高裁判決も留保付き合憲の可能性が高いといえます。そうなると、次の(2021年)衆院選挙は、アダムズ方式(不十分ながらも人口比例方式)が採用される法律が成立しているので、我々の1人1票運動が目に見える形で成果がでることになります。
最高裁判決では、鬼丸かおる裁判官、山本庸幸裁判官が既に、「憲法は人口比例選挙を要求している」旨を個別意見で明言しています。しかし、山本裁判官も、鬼丸裁判官も私どもの主位的主張である多数決論についての言及はありません。憲法56条2項、1条、前文第1文は、両院の議事は国会議員を通じて国民の多数決で決めると定めているという多数決論は、非常に単純な議論です。国民の多数意見を国会議員の多数意見に一致させる選挙は、人口比例選挙だけです。私は、各裁判官は、国民の多数決論の当否を議論する憲法上の義務があると思っています。

1人1票裁判と国家のガバナンス - 国(省庁)には監査役がいない -

【久保利】財務省などの不祥事・不正対応が起こり、マスコミからの取材が続いています。5月の連休にも夕刊フジの記事がでました。この国で今、何が一番問題かというと、国は民に対してコーポレートガバナンスと旗を振っている割には、国の組織自体がガバナンスに対して全く無自覚・無関心だということです。今、どこの会社でも必ず監査役がいます。しかし、国(省庁)には監査役がいないんです。監視、監督する機関が設けられていません。再発防止策も読みましたが、その内容といえば、上席社員にも研修を行うとか、ガイドラインを厳しくするというレベルで、再発防止策としては全く不十分です。私にいわせれば、まずは、監査組織をつくること。ここからです。ですから、根本的に、視野が全く違うのではないかと意見しました。
さらに、企業では内部統制システムが構築されているか、またはそれがきちんと機能しているかが問題視されています。ところが、財務省には、内部統制機能が全くありません。そういう点で、この国は、企業以下のとんでもない組織になってしまっていると思っています。
われわれがなぜ定数是正裁判(1人1票裁判)をしているかというと、人口比例選挙を行わないことにより、国民主権という憲法の定める日本のガバナンスの根幹たる代議制が崩れ、代議員たる国会議員は正統性を持たず、日本はガバナンスの効かない、専制国家になっている。だから、それを正しなさいといって裁判をしているわけです。
今回の文書偽造にしても、政府が国民の代表である国会議員を騙すために行われたのですから、それに対しては、国会が事故調か特別委員会を作り、真相究明を国会で行うべきです。それが三権分立の原則だという人が誰もいないんです。嘘とか隠蔽とかを、そういうものなのだと、皆が許してあるいは無関心のまま進んでいけば、その先は、断崖絶壁から落ちるしかありません。それを防ぐためにはガバナンスが必要なんだということが理解されていません。今の日本は、嘘をついたり、隠蔽したりした国家の組織のトップが責任を取らない異常な国になってしまっていることをそのインタビューで指摘しました。すごく好評だったと編集部から聞いています。やはり、関心を持つ人たちの間では、いまの日本国はおかしくないか、という感覚の人がいろいろな分野で増えているのだと思います。そして、そのおかしなことの一つに一人一票の問題が当然浮かびあがってきます。
インタビューでは、一票の話もしました。0.5票分しか投票できない人がいますよ、選ばれるべきでない人が当選した可能性もありますよ、一票の不平等を容認する裁判官にバツをつけて最高裁裁判官国民審査で最高裁裁判官を罷免にできますよ、ということなどです。先日、ロースクールの授業後の会合では、ある会社の副社長二人が、「一人一票じゃないって、本当におかしいですよね。全面的に支持・応援しています」と言ってくれました。このように、この運動は着実に広まってきているという実感はあります。やはり、忖度とか利益誘導で世の中が動くのはおかしいよね、とみんな思い始めています。統治の仕組みの基本となる一人一票の理解が広まることは、世の中の不正を正すためのボディブローのように効いている感じがします。異常な国を正常な国に変えていくのが1人1票裁判であり、国のガバナンスが正常に戻るまで、何遍も、何遍も言い続け、提訴し続ける。実直にやっていくしかないと思っています。

立憲主義と1人1票

【升永】違憲状態国会議員による憲法改正の発議については、年内の発議は困難であろうと各紙が報じました。きのう、ある弁護士が、今年は憲法改正は無理でしょう。そこまでいっていない。その理由に、一人一票運動がある、と。十年前は、これだけ憲法に関心を持つ人はいなかった。一人一票運動が憲法というものを国民に意識させるきっかけにはなっている、という見方をしてくれていました。

【久保利】それまでは、皆、憲法は9条だと思っていたわけじゃないですか。憲法を守れるかどうかは9条を守れるかどうか、それ一点集中でした。ところが、それだけでなくて、憲法は、国家統治の仕組みを定めていて、今の日本では、憲法が定めている民主的多数決で政治が行われていない、というところに目がいくようになった。国民が、国のガバナンスを定めているという視点で憲法を捉えるようになってきたということはあるのでしょう。

【升永】それとやはり立憲主義という言葉がここ4、5年の間に、非常に常識的な言葉になりました。実は、私は学生の頃は、立憲主義という言葉は明治憲法に結び付ていて、そもそも明治憲法では、国民に主権はなくて国民は臣民でしかなかったので、漠然とケシカランというような意識しかもっていませんでした。憲法の機能に、人権保障という意味以上に、統治論とか、国家権力の乱用を防ぐというような機能があることを全く意識していませんでした。それが、この1人1票運動で伊藤先生と知り合って、運動を始めて2~3年後ぐらいでしたか、伊藤先生に「憲法には国民を縛る条文はどこにもないですよ、升永さん」と言われて「へぇ-」と僕はびっくりしたんですから。「憲法尊重擁護義務」に国民は入っていないということを私は気が付いていませんでした。確かに99条には、国民とは書いていない(憲99: http://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION。これはもうショッキングでした。伊藤先生が広く国民に向かって積極的に唱道してこられた立憲主義は、アメリカで日常用語となっている法の支配(Rule of Law)と同じだったのです。
今は立憲主義という言葉を誰でも使うようになりました。これはすごいことだと思います。ここ10年ぐらいに市民の憲法に対する理解が大分進みました。10年前、何もないところにどんと憲法改正が出てきたら、国民はわけがわからないうちに簡単に持っていかれたと思います。

【伊藤】先ほど、久保利先生がおっしゃったとおり、これまで、憲法イコール9条で、平和を守れ、9条守れ、というのが多くの国民が持つ憲法の役割の認識だったと思います。それが、この1票の裁判をコツコツと年間続けていく中で、国民が主権者だ、国の政治の主体、主人公は主権者だ、だから、ガバナンスは一人一票じゃないとおかしいよね、では、そのための選挙って何なんだ、と国民が思考するようになりました。憲法はガバナンスを定めているんだ、という意識が相当広がりました。0.5票という言葉も相当広がりました。その結果、判例が変わり、もちろんアダムズ方式ではまだ不十分ではありますが、人口比例方式による議席配分の法律が成立しました。一人一票や立憲主義という言葉が広がり、不祥事に対してガバナンスという観点でものを見ていくことなど、世の中でのものの見方が変わりました。この変化をもたらしたのは、一番最初に火を付けたのは一人一票運動で、この運動がいろんな意味でつながっていると思っています。
改憲は少し前に比べるとだいぶ押しとどめられるような状況になっていますが、まだ臨時国会がありますから、予断を許さない状況にはかわらないと思います。残念ながら。

全国で改憲問題にからめて憲法の講演をしています。講演では、以前から一人一票の話もしていますが、一人一票でないとおかしいという人は着実に増えています。ただ、地方から代表が出なくなると困る、と常に言われてしまいます。主権者の多数で決める、地域の代表ではないということを説明してもピンとこない人たちもまだまだいらっしゃるのも事実です。

「デュー・プロセス」 -「人権保障の歴史は、手続き保障の歴史であった」-

【升永】主権者意識から統治論に発想が至るまでにはまだなっていません。違憲状態の選挙で当選した民主的正統性のない国会議員が法律を作ったり、総理大臣を選んだり、憲法の国会発議を行うなんて、憲法上全く信じられない馬鹿げたことです。私はアメリカで「デュー・プロセス」を学んできたから、何の余地もなくストレートにそう反応します。しかし、実は昭和30年代、東大法学部にいた時、私は、「デュー・プロセス」の意味がよく分かっていませんでした。例えば、人を殺したかどうかが大事で、捜査方法に違法性があれば、それは無罪だ、という理屈がよくわからなかった。捜査方法が違法であったとしても殺した人は悪いのではないのか、という考えが頭の中に残っていました。そこには「デュー・プロセス」という発想はありませんでした。徳川時代の日本と同じでした。

【伊藤】ないです。

【升永】明治時代の憲法も同じ。刑法も同じ。要するに、殺したかどうかが問題であって、どのように(拷問などにより)自白させたかは問題視しない。片時も拷問したら無罪だという厳しさがないですね。もちろん、拷問がいかんという意識はありましたが、片時でも、これっぽっちでも拷問があったらもう全部無し、という発想は、私は法学部の学生の時はありませんでした。

【伊藤】いや、ないです。そういう発想はないし、今でも検察官の中にその発想がない人もいると思います。拷問は悪い。だから、拷問した人を処罰すればいい。それと犯罪を犯した人の処罰とは別だと考えるんです。だから拷問の手続きがあったにせよ、悪いことやった人は処罰しなさい、有罪は有罪ですよ、という発想です。捜査や取り調べの手続きが判決に影響するという発想は全くないんです。

【升永】アメリカでは一点の拷問、一点の違法な取り調べがあれば無罪になるのがプラクティスです。なぜそれをやるかと言うと、そういうことをやれば拷問がなくなるからです。拷問を世の中からなくさなければいけない。そのためには、一点でも拷問という汚れがあればそれはもう無罪にする、というルールを作ってしまえば拷問する警察官はいなくなる。拷問する検察官もいなくなる。だから、「デュー・プロセス」を最も重要視するんだと、割り切っているんですよね。この発想が素晴らしいんです。このことを私はアメリカ行くまで知りませんでした。

【久保利】昭和40年、芦部教授はまだ若手の学者だった頃ですが、ゼミでの憲法の議論はほとんど「デュー・プロセス」の話ばかりでしたよ。国家統治論の話は別にして、人権論は、告知・聴聞の機会の保障だとかを芦部さんはずーっとおっしゃっていました。彼はある意味でアメリカ帰りの憲法学者の先駆けだと思います。僕は授業にもゼミにも出ていましたら、そのことはずーっと聞いて知っていましたよ。升永さんはアメリカ行くまで知らなかったらしいですが。(笑)

【升永】時代が違うでしょう、あなたとは。(笑)私は昭和30年代だもの。芦部さんはまだ助手の時代の筈です。

【伊藤】私が最初に見た芦部先生の教科書には、「人権保障の歴史は、手続き保障の歴史であった」と書いてありました。刑事訴訟法をしっかり学ぶまでは、その意味がよく分かりませんでした。

【升永】手続き保障だというのは芦部さんが言うから何となくそうかな、と思っているだけで芦部さんの言うような心底から分かるというのは、久保利さんのような本物しか分からない。せいぜい言われても何となく「そうかいなぁ」という程度で腹の底までとはなかなかいかないでしょう。

【伊藤】はい、そうなんです。日本と世界の立憲主義の歴史、刑事訴訟の歴史を知って初めて納得できるようになりました。

【升永】日本の刑事裁判の問題は、いまだして殺したかどうか、自白したからいいじゃないか、間違いなく殺している、という実体法主義で、「デュー・プロセス」になっていないところです。

【久保利】裁判官が無罪にすればいいんです。ただ、刑訴(刑事訴訟法)を取っていない裁判官が当然たくさんいたわけですよね。あの頃は、民訴(民事訴訟法)か刑訴の選択でしたから。

【伊藤】選択でしたからね。

【久保利】刑訴は本当に難しいので、司法試験通ろうと思ったら、まず民訴を選択しますよね。そうすると、刑訴を取ってない人が検事になったり裁判官になったり弁護士になることになります。「人権とは手続きなり」などとは露ほども考えないままに。

【升永】アメリカのロースクールに行って知ったのですが、アメリカのロースクールの学生にとっては、「デュー・プロセス」のあることが議論の大前提でした。

【伊藤】そういう教育を受けた人が社会のいろいろなところに散らばっていきますから。政界、財界、法曹界、それから一般企業にも。

【久保利】だから弁護士が政治に対しても多分に貢献ができるんですよ。

【伊藤】ジャーナリストになったりですとか。
【久保利】打撃の錯誤と言われる間違えて誰かを撃っちゃたりとか、実体法の関係で殺人罪が成立するかしないかということより、拷問したらみんな無罪になってしまう、というほうが法の支配として意味を持ちますよね。

【伊藤】そうすることにより国民性ができるんですよ。

【升永】私は、アメリカのやり方、「デュー・プロセス」により無罪とするアメリカのやり方は正しいと考えます。なぜならば、拷問はやってはいけないのだから、一点でも拷問があれば、有罪な人も無罪にするという厳しさを裁判所がやれば拷問はなくなる。

主権者意識を持つための教育を

【伊藤】先ほどの森友の問題に戻りますけれども、先日、毎日新聞の取材で、「まだ森加計やってるの?」という批判もあるようですが、森友・加計関連の取材をうけました。今の国の組織には、文書改ざん、偽造などの不正を監督する機関がありません。おそらく、自分たち(官僚、政治家)が主権者だ、というのが根本にあるんだと思います。自分たちは間違いを犯すことはない、自分たちがよかれと思ってやっているのだから悪くない、森友についても、首相の友達にやらせてなにが悪いんだ、岩盤に穴をあけるために特区を作っていいことやっているのだからそれはそれでいいんだと。自分たちはいいことをやっているのだからだまって従いなさいというような発想があります。ここは1票の問題と共通します。国会の多数決で決めているんだからなにが悪いんだ、ということです。自分たちは、まぎれもなく、国会議員の多数決で決めているのだから、と。

【升永】だから、国民主権じゃなくて、国会議員主権なんですよね。

【伊藤】国会議員主権(政治家主権)という発想です。自分たちが何をやろうと、それは正しいということになる。だから、自分たちにガバナンスが要るとは思っていないんです。自分たちが主体でやればいいんだ。で、臣民はだまってついてきなさいということ。

【升永】主権者意識を持つための教育がまったくなされていないことが原因でしょう。私自身も主権者という意識は全くなかったように思う。法学部に行ってた時もそういう意識はなかったし、卒業しても起きなかった。

【伊藤】自分たちが監視するんだ、自分たちが変えていくんだ、われわれがよく言ってる自分たちが市民なんだ、という意識が国民にありません。

【久保利】だから、この訴訟が主権者教育にもなると思って、我々は繰り返し提訴しています。それも、裁判官様にお願いするのではなく、国民主権を理解しない最高裁判事には国民審査で×を付ける運動とセットにしたのです。

【升永】伊藤先生は30年間、国民に憲法を届けておられます。よくよく考えると、最近、国会前などにああして労働組合や組織以外の国民が出かけて行ってデモに参加するというのは、ぼくらの学生運動の時もなかったんじゃないですか?

【伊藤】そうですね。あの当時私は子供なんでよく知らないんですけど(笑)、でも、話を聞くとそのようです。

【升永】当時は、民青が動いて動員でいってるだけで、市民は見てただけ。学生は民青が動いたから行った。私も高校2年生の時にデモに行きましたけれど、市民は動いてなかった。それが、ここ数年は、デモをやれば500人とか1000人の単位で市民がデモに参加しています。これは伊藤先生が30年間に亘り、全国に憲法を届けた活動の成果がでてきたということなのでしょうね。

【伊藤】1人1票裁判など、裁判があれば、少なくとも裁判の度に報道されますから、それによって国民に考える機会ができる。これは大きいです。数カ月内に1人1票裁判の最高裁判決があります。

【升永】2倍だからいいという判決にはならないのではないかと思います。もし、最高裁判決が留保付き合憲であれば、国会はアダムス方式で議員定数を人口比例で都道府県に配分するでしょう。日本の民主主義にとって、大きな1歩になります。

(後記)
1人1票が裁判所の判決によって実現することを期待しています。

第1回 鈴木富七郎弁護士
第2回 井戸謙一弁護士
第3回 山口邦明郎弁護士
第4回 升永英俊弁護士
久保利英明弁護士
伊藤真弁護士

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